小林麻央さんの乳がん報道で思うこと
きっとみんな驚いたし悲しんだし、祈ったと思う。
でも、結局は「他人事」なんですよ。
一生懸命、相手の気持ちを想像力駆使して思いやっても、わからないものはわからない。
例え、海老蔵さんがあの記者会見でステージをはっきり明言していたとしても、彼女の乳がんの進行具合や状態も、勝手な想像でしかない。
がんとなると皆、気になるのは「部位」「ステージ」「余命」のようで、その得られた情報で予想を立てる。
ステージ1と聞くと、早くわかって良かったねえとなり、ほぼ完治間違いなしと判断する。ステージ4と聞くと、それはたいへんだ、何でもっと早くわからなかったの、検診受けてなかったの?そして、転移は?余命は?となる。
部位も大腸と聞くと、手術して取っちゃえば大丈夫となんとなく思えるけど、乳だと手術して取っちゃえばいいと言う話でもないとなる。おっぱいなくなるのは女性として辛いよね、と。
それ全て、頭の中でこさえた「物語」だってことに気がつく人は、どれくらいいるのだろう。
その「物語」は当たっているかもしれない。いや、きっと当たっていると決めている。その頭の中で作られた物語はフィクションではなく、ノンフィクション。
だって、その物語は、今迄にどこかで見聞きした知識だから。中には身内や自分自身の体験かもしれない。
それでも。そうであっても。
想像でしかないんですよ。
物語なんですよ。
彼女が何を考え、どう暮らし、がんにどう向かい合っているか、私達は全く知らない。
テレビで報道されている彼女のことも、それが正しかったとして、彼女のほんの一部分でしかない。
だから私は、今現在がん患者のそばにいて、一緒に悲しんだり、喜んだり、泣いたり、ホッとしたりしている立場ではあるけど、小林麻央さんの乳がんについては、何も語らない。
このブログをたくさんの人が読んでいるわけじゃないし、寧ろ、何の影響力もない一般人だけど、でも、やっぱりやめておこうと思う。
きっと、マスコミの報道している側の人の中にも、どこまで報道すべきか悩みながら…って人がいることを信じている。