夫のがん。その後。
このブログをずっとほったらかしにしていたことに、理由はありません。
あえて言うなら、書く気になれなかったというか、時間が無かったというべきか。
去年の夫の状態に比べたら、今はたいそう良くない。
途中、抗がん剤が変わった。
分子標的薬も使った。
そして主治医も変わった。
去年から今日までの流れを書こうと思えば書けるけど、
正直今は思い返したくない。
希望を持っていた時期を、希望が消えかけているように感じる時期に思い返すのは、
とても辛いことなんだってことはわかった。
今はあまり辛いことを自ら選択することを避けたいと思う。
主治医が変わったのは、今年の7月だった。
夫と相性が良い(と患者の私たちは勝手に思っていた)女性医師は、
遠い病院へ移っていった。
最後の診察の時に、彼女がほんの少しだけ声をつまらせたように感じたのだが、
その時はあまり深く考えなかった。
4年ほど勤務したこの病院への思い入れかなくらいにしか思っていなかった。
今はひょっとしたらその後の夫の流れ着く先がわかっていたのかもしれないと、ぼんやりと思い返す。
今度の新しい主治医は男性で、前の女性医師よりキャリアは上のようだ。
最初の1〜2ヶ月、コミュニケーションが取りずらいことは致し方ないことだった。
いきなり途中から担当することになった患者の全てを、その時点で理解することも難しいのはわかっていた。
でも3ヶ月以上経った今も、今の主治医のことを信頼できずにいる。
それは夫もそうであるが、私は特に不信が強い。
それは他人事であること。それが全てだ。
今の主治医の過去の経験を私たちは知らない。実績も知らない。
けれど彼は医師だ。
「過去の体験に沿わない」ことや「マニュアルにない症状」に対する判断が
ひょっとしたら彼の判断が正しいのかもしれないことも、本当なら汲みたい。
でも、それによって夫が痛い思いや辛い思いをする回数が増えることに
そろそろ私も、もちろん当の本人も限界に来ている。
元々発見時に遠隔転移があり、ステージⅣだった夫なので、
完治できる可能性が低いことは、頭の中で常に覚悟していたことである。
しかし、今の段階ではまだ「もう仕方ないのですね・・・」という気持ちになれないのである。
もう少し何かできるのではないか。
それは前向きな治療的にでもあり、緩和的治療でもあり。
とにかく主治医の彼から手段の全てを尽くそうという気概を感じないのである。
私たちはがん専門看護師の方の勧めもあり、セカンドオピニオンを受けることに決めた。
もう少し早く決断すべきだったのかもしれないが、夫が気乗りしなかったこともあって、強引に事を進めることはしなかった。
でも今になると、強引さも必要だったのかもしれないと後悔している。
きっとどんなにいろんなことに努めても、後悔することから逃れられない。
でもその後悔を少しでも小さくしたい。
それは自分の今後のためでもあり、夫の命の期限のためでもある。
こどもたちのためにもなることかもしれない。
今も夫の部屋からは傷みに耐えるうなり声が漏れ聞こえる。
今週何度病院へ行っただろう。
それでも担当医の外来の曜日でないときは、親切の度合いはいろいろあれど、様子見や対処療法になる。
担当医の判断が及ばない日の診察室は、医師がいるようでいないのと同等だった。
明後日、担当医の診察日だ。その時にあまり効き目がないように思える(血液検査でもそのように感じられる)抗がん剤を投与する。
夫は抗がん剤投与の後、波はあるものの痛みはあまり強くなくなる。
それも2週間が限界で、その後は痛みと怠さとの戦いである。
担当医の診察が月曜日ということもあり、ハッピーマンデーが時折やってくる羽目になり、その時はどうしても3週間治療が空いてしまう。
その時の3週目は本人も家族も地獄の1週間となるのだ。
わかっているのに、主治医は月曜日にしか外来がないから、3週間空くことになる。
そして主治医の彼は、その3週間目の夫の状態を信じていない。
それはマニュアルにないからであり、過去の受け持ち患者になかったことだから。
最近、夜中に病院へ車を飛ばすことも多くなってきた。
朝起きたら体調が悪すぎて仕事に行けないこともちょくちょくある。
そんな時、一番辛いのは夫本人だ。
だからこそ、私はなにも言えないし、耐えるしかない。
今後の不安や、今現在なにもできない不甲斐なさ、夫のうなり声を常に聞かされるストレス、やらねばならない日常のことや仕事ができないことへの苛立ち、それらのことを全て笑顔で飲み込まねばならない。
1年後の夫と私は、どうなっているのだろう。
いや、1ヶ月後だって、もう今はわからなくなっている。