ひねもすのたり

日記のような、つぶやきのような、そんなブログです。夫が末期がん患者です。

がんであることを、周囲に伝えるかどうか 入院中編

記事タイトルの、このことに悩む場面が度々ある。

主人ががんであると判明した頃はちょうど年末で、クリスマスだの正月だの、世間は浮かれモードで忙しなかったし、2人の子どもが受験生だったこともあり、友人も知人も親戚も、積極的に連絡をしてくるタイミングではなかった事は救いだった。

それでも、他人と全く関わらずに生活することは難しく、それなりに説明しなくてはならない場面に出くわす。主人本人は年末とはいえ、仕事を急遽休まねばならなかったので、特にどこまでの人に病気であることを伝えるか、悩んだようだ。あと、病名を伝えた人に、どの範囲まで病気の事を伝えてもらうか、黙ってもらうかについても悩んでいた。結果的に、主人は入院中にはかなり少人数にしか本当の病名は告げていない。

当の本人は入院のベッドで点滴につながれており、携帯の使用には制限があった。入院生活が長引くことが分かってからはPCを持ち込んだが、使用できる場所が限られていたため、仕事で絶対に連絡しなくてはならない時以外は使っていなかった。本人と直接話をするためには病院に見舞いに来る必要があるが、年末年始を挟んだことと、病院がわりと不便な立地だったこと、入院自体を限定的にしか話していなかったため、片手で足りる人数しか見舞いはなかった。本人は結構な期間食事禁止だったし、最初と術後は痛みもあったため、結構弱っていたし、なんとなく状況を察するしかない主人の関係者においては、本人にガツガツと病状や病名を掘り下げて聞いてくることはほとんどなかった。

本人の周りはそんな感じだったが(ひょっとしたら私に言わないだけで、もっと複雑に悩んだこともあったかもしれないが) 私の周りはそうはいかなかった。

入院しているわけでも、弱っているわけでもなく、普段通りの暮らしを送っている…ようにするしかなかった私には、当たり前だが直接会う機会がある人もいた。実は主人と私は同じチームで取り組んでいる仕事があり、共通の知り合いや仕事関係者がそこそこいる。あと、子どもを通しての知人や友人、所謂ママ友もいて、そんな人はわりと近所に住んでいるため、家庭内の事も敏感に察知してくる。受験真っ盛りの時期だったので、やたらめったら踏み込んではこないものの、中にはそうもいかない人もいた。主人の現状を話さないわけにもいかず、どの程度まで話をするかは私なりに悩んだ。

詳しい病名は話さずとも、入院の事実だけで皆一様に驚くし、現在の主人の状態から入院期間、手術の有無までは質問される。大抵はここまでで止まる。しかし、中にはその先に質問が及ぶ人もいて、そういう人には病名まで話さねばならなくなる場合もあり、そしてそういう人はだいたい近しい人をがんで亡くしているというオプション付きだ。

当の本人を目の前にして、がんで亡くなった人の話ができる人はあまりいないと思うが、私は当の本人ではないため、全てを受け止め、血肉にすると信じているのか、それとも支える側の人間には励みになると確信しているのか、死んだ人の話をされる。
もちろん、悪気がないのも分かるし、心配しつもらってありがたいという気持ちもある。
たが、そういう人の話の行き着く先には「死」がある。「生」の話ではない。
正直、「生」の話は、アドバイスという、これまたどんなリアクションをすればいいのかわからない難易度の高い話が付き物なので、それはそれで迷惑なことも多いのだが、「死」が待つ話には希望が一切ない。途中がどんなに穏やかだったとか苦しまなかったとか、余命が延びたとかであってもだ。結局「死」なのだ。

なぜ、打ちのめされている人に、さらに悲しみの上塗りをしてくるのか。
なぜ、ただでさえ疲れ果てているところに、ありがたくもない、寧ろ傷つき惑わされるだけの話に、お礼を言わなくてはならないような状況を作るのか。
この頃はそういう風にしか思えなかった。
私の周りの人にがんになった人が出ても、私は絶対にそんな話はしないと心に誓ったのもこの時期だ。

多分、がん=死 の図式が、皆の頭に刷り込まれているため、どうしても快方に向かう図より、抗ガン剤の副作用で髪が抜け、痩せていき、最後は痛みに耐えかねて死んでいくという姿しか想像できないのだろう。
家族はそれを支える立場にあり、どの方向に転んでも気丈に受け止めなくてはならないのだから、覚悟を決めなきゃね。辛いのは本人なんだから、あなたは今はいかなることも犠牲にして尽くさなきゃね。そんな臭いがプンプンする話になってしまうのは、そういうことなんだろう。がんなんだから、残り短い人生を充実したものにしてあげてね。みたいな。私はあなたが今置かれている状況の先輩だよ、と。あなたの気持ち、理解できるよ、と。

正直、余計なお世話である。
がんは部位でもステージでも、さらに本人の年齢や体力や薬との相性等、本当に複合的な要素で、ひとりひとり予後の状態は変わる。ステージⅣから長生きしている人もいる。この頃はそういう希望が支えだった。そんなささやかな希望を踏みにじられた思いしか残らない状況で、周囲へのがん報告が億劫にならないはずもなく、余程の事がない限り、主人の病名は話さないようにしようと決めたのも、この入院中だったと記憶している。